学生の頃は成績も悪く勉強が大嫌いな僕ですが、昔から活字だけは好きでした。
映画を見るのもゲームをするのもいまだに好きではありません。
僕自身、本を読む癖がついたことで漢字にも強くなりましたし、語彙力やワードセンスなどが身につくのは間違いのない事実です。
世の中”決まった言葉”しか存在しません。
どれだけ「意味と使い方を知っているか」がコミュニケーションの質を高めてくれるのです。
本を読むことの大切さは皆さん気付いていると思いますが、読書がどれだけ将来に影響を与えるのか・・・解説します。
10歳までに読んだ本の数で一生の語彙力が決まる
”読書週間のある・なしがその後の学力の伸びに影響を与えている”
語彙力や集中して問題を読み解く力は大きくなってからでは容易に習得できないものです。
この作者によると、
コミュニケーションを図る上で国語力というのはとても大事になってきます。
(10歳までの〇〇という本は他にもたくさんあるので気になる方は調べてみてください)
この本のタイトルは”10歳までの”ですが、これは何歳になっても必要な知識と言えます。
人前で発表したりプレゼン資料などを作る時は想いを具現化できなければ相手に伝わりません。
自分が本当に伝えたいことのワードセンスや語彙力は読書で鍛えられるのです
今の時代メールやLINEでやり取りすることが増えましたが、文字を見て
とわかる時があります。
逆に会った事もなく、メールのやり取りしかしていない取引先の人でも
と思うこともたくさんあります。
小さい頃からの見聞きが自分のコミュニケーションの土台になることは変えようのない事実なのです。
親から受けた教育が大人になって経済力に表れる
- 成功する
- 成長する
これらは教育・学びによって振り幅が決まります。
年収と読書の数は比例すると言われていますが、
子供の時、親に管理されている人生の中でどのような教育を受けたかが経済的成功に繋がる分かれ道になるのです。
子供は悩んだ時に親に相談をします。
その、親の出す決断が子供にとっての正解になります。
この、
悩み→相談→解決
までの判断が大人になっても基準になり、良くも悪くも財産として残ってしまうものなのです。
「親だったらこう言うだろうな・・・」こう思って判断するのが親から受けた教育です。
勉強する理由も貯金する理由もわからず、こう言われ続けるから”これが正解なんだ”思い込み、自分の子供にも強要し受け継がれていくものなのです。
ゲームばかりやっていたおかげで任天堂に就職し、プログラマーになる人もいます。
勉強できずに成績が悪いけど、プロ野球選手になって人を笑顔にする人もいます。
今は好きな事・得意な事を伸ばさないといけない個の時代なのです。
日本人の学力の低下
日本は大人になってから最もアジアで勉強のしない国と言われています。
日本の社会人の1日平均勉強時間は6分。
これは高度経済成長期、所謂バブルを経験して学ばなくても経済的にゆとりがあった怠慢が生んだ結果でもあります。
社会に出てからも子供と同じで、
稼げる人ほど読書の時間を作り、稼げない人ほど読書の時間がないと
やりたくない事を正当化し、後回しにします。
実際に日本は1990年代ではGDP(国内総生産)でアメリカ、ヨーロッパに次ぐ3番目の経済大国でした。
ですが、バブルが崩壊し2000年以降の経済成長率は1.16倍とほぼ横ばいで全く成長していません。
この20年、アジアの中でも一番成長しなかった国は我が日本です。
そのバブルのイメージのままの教育が受け継がれているのがこの国なのです。
経済的に成長していないのに消費税が10%になり、社会保険や税金が右肩上がり・・・
これではいつまで経ってもゆとりのある暮らしはできません。
先程、日本は大人になって勉強をしなくなると言いました。
逆に言うと、
大人になっても学び続けている人が生き残れるイージーな国
という事です。
たくさん本を読んでも行動が変わらない人が90%です。
本を読んでいることに満足しているなら楽しめるマンガの方が良いでしょう。
結果を変えたいなら何かを変えることがスタート地点に立つということです。
読書をしているのに変わらない人は、読書をすることを目標にしている人。
インプットしたら必ずアウトプットしていますか?
たくさん本を読んでいるから変わるわけではありません。
行動したから変われるという事に気付きましょう。
教育というのは一種のマインドコントロールなので伝え方と捉え方で意味合いが全く変わってきてしまうものです。
語彙力、伝達力、ワードセンス・・・
子供の人生に大きな影響を及ぼす教育という財産は親から子へのプレゼントです。
お金は無くなることはありますが、知識という財産は永遠の価値となります。
読書はストレスを68%軽減すると研究結果で示されています。
親子共に成長し合える環境であると世の中少しは明るくなるのではないでしょうか。